【九州生まれの九州男児である初代天皇】
神武天皇(じんむてんのう)は本名をカムヤマトイワレヒコノミコトといい、日本を建国した初代天皇として知られています。
『古事記』によると神武天皇は、九州日向(宮崎県)でウガヤフキアエズノミコトと海の女神タマヨリヒメとの間に産まれた末っ子(四男)で幼名ワカミケヌと呼ばれ、幼いころから明達で若干15歳で皇太子となり、その後、阿多小橋君の妹アヒラツヒメと結婚しました。
天孫ニニギが高千穂に降臨し永い時を経ていましたが、未だ日本全体を平定できていなかったので、この国を統治するに相応しい地を探しに兄や一族と共に東へ旅立ちました。これが「神武東征」と呼ばれるもので、神武天皇は45歳であったとされます。
日向から宇佐(大分県)、そして福岡の岡田宮に1年、安岐国(広島県)に7年、吉備国(岡山県)に8年逗留し、瀬戸内海から浪速(大阪府)へと向かい年月は経ちましたが順調に東へ進んでいきました。
神武一行がようやく関西に入り、船で白肩津(東大阪市日下町付近)へ着くと、トミノナガスネビコが待ち伏せしていて襲撃にあってしまい、虚を突かれた神武一行は大敗します。神武天皇の兄であるイツセが腕に矢を受け重傷を負い「日の御子である我々は、日(東)に向かって戦ったことが良くなかった。そのせいで痛手を負わされてしまった。これよりは回り込んで戦おう」と言い、軍を南に向け回り込ませることにしました。
しかし、紀国の男之水門に辿り着くと兄イツセは矢傷が原因で死んでしまいます。その後、一行は熊野から上陸しますが、大きな熊(荒神)に行く手を阻まれ毒気により皆揃って寝込んでしまう危機に会い、これを助けたのが武神タケミカヅチの神剣フツノミタマ。剣を受け取ったタカクラジが神武天皇の元に届けると、たちまち一行は起き上がり、熊野の荒ぶる神々は剣の霊力を恐れ逃げて行ったのでした。
荒神が蔓延る熊野の道先案内として遣わされた八咫烏(ヤタガラス)の導きもあり、一行は大和に入り激しい戦いの末に建国を果たします。
紀元前660年2月11日に即位され、初代神武天皇になったといわれています。
この日が現在でも建国記念の日になっており、今年で即位から2684年。世界中どこを探しても神話と現代まで繋がっている国はありません。
我が国日本は、世界一長く続く国で、我が国日本の君主は、2684年前から126代今上天皇に至るまで、この時の建国の想いを大事に守り続けているといえます。これこそが徳であり、世界一長く続いた我が国の礎となっています。
高い志を持ち、天津神の御心と一体となり、大事を成しとげた神武天皇。そのあり方は現代まで語り継がれる天皇の原点です。
【系譜】
ウガヤフキアエズノミコト(父)
タマヨリヒメ(母)
イツセノミコト(兄)
イスケヨリヒメ(皇后)
アヒラヒメ(最初の后)
【神格】
軍神、農業神、海の神
【御利益】
国家安泰、厄除け、商売繁盛、子孫繁栄、五穀豊穣、武運長久、海運守護
【祀られている神社】
橿原神宮 (奈良県橿原市)
宮崎神宮 (宮崎県宮崎市)
鵜戸神宮 (宮崎県日南市)
霧島神宮 (鹿児島県霧島市)
玉置神社(奈良県吉野郡)
高千穂神社(宮崎県西彼杵郡)
吉備津彦神社(岡山県岡山市)
その他の神社