璽1(N1)ニニギノミコト(邇邇芸能命)

【高千穂に降臨した日向三代の初代】

ニニギはアマテラスとタカミムスビの孫で、父神アメノオシホミミと母神ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれました。ニニギは高天原(天界)から高千穂(地上)へ降り立った神様で、このことを「天孫降臨」といい、現在の高千穂町や高千穂峰など降臨の伝承地が九州にいくつかあります。『日本書紀』において、アマテラスは天皇家の使命であり、日本建国の理念とされる「三大神勅」をニニギに託しています。

その中の「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」では、三種の神器の一つである八咫鏡(やたかがみ)を渡し、「この鏡を私の御魂として祀りなさい。鏡で己を映し出した時に、私利私欲で民を苦しめていないかを自省しなさい」と詔しました。

神を己の心に映し、君主としての努めを示したのです。神勅を守ることが国家君主、天皇の使命であり、126代に渡り未だに神勅が守り続けられているのが日本です。

これが、民衆が主役の慈愛で満ちた国づくりの根源でした。

このような神話、王権神授説のようなものは、世界中の王家にもあったでしょう。しかし、日本の場合、現在もその言葉の通り「皇室が続いている」ということ。これは世界史上においても、極めて稀なことなので外国人が驚くのも無理はありません。

ニニギは高千穂降臨後、オオヤマヅミの娘であるコノハナサクヤヒメに一目惚れして妻にします。天孫の申し出に喜んだオオヤマヅミは、姉のイワナガヒメも一緒に嫁がせました。しかし姉のイワナガヒメの姿が岩のようだったので、それを見たニニギは畏れ、姉だけをオオヤマヅミのもとへ送り返してしまったのです。イワナガヒメを送り返された父は、とても残念がりました。

「コノハナサクヤビメを娶ると、あなた方天孫の一族は、桜の花が咲き誇るように栄えるだろう。イワナガヒメを娶ると、あなた方一族の命は、たとえ雪が降り、風が吹いても常に岩のように動じない、永遠のものとなったであろう。イワナガヒメを返されては、あなたの一族の命は桜の花のように儚いものとなる。」

こうして、今に至るまでニニギの子孫である天皇家や人々は、神の子であるにも関わらず、その命は限りあるものになってしまいました。君が代の「細石の巌となりて」とは、子々孫々、岩のように永く続くという意味です。

しかし、ニニギはイワナガヒメを添えたオオヤマヅミの意図を分かっていたはず。

ニニギがイワナガヒメを見た時に、その醜さに恐れたのでもなく、そして永遠の命を得ることを怖れたのではなく、『古事記』には「見畏み(みかしこみ)」と書かれています。これは自分の事を省みて、自制したと読めます。

高千穂に降臨した時に「ここは、いたく素晴らしい国だ」とニニギは言っていますが、その地を治め、美しき愛するコノハナサクヤヒメを娶り、これ以上、永遠の命までも求める必要はないと自制したのではないでしょうか。永遠の命を貰うのではなく、「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」これをまさに実行したところに、ニニギの建国の想いが感じられます。




【神格】

農業神、稲穂の神

 

【御利益】

五穀豊穣、畜産、国家安泰、家内安全、厄除け、富貴栄達

 

【別称】

瓊杵尊(ニニギノミコト)、天饌石国饌石天津日高日子火瓊瓊杵命(アメノニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)、天津日高日子番能邇邇芸命(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)、彦火瓊瓊杵命(ヒコホノニニギノミコト)

 

【系譜】

アマテラスの孫、アメノオシホミミの子、タカミムスビの孫

 

【祀られている神社】

霧島神宮 (鹿児島県霧島市)

高千穂神社 (宮崎県西臼杵郡高千穂町)

新田神社 (鹿児島県薩摩川内市)

日向大神宮外宮 (京都府京都市山科区)

射水神社 (富山県高岡市)

築土神社 (東京都千代田区九段北)

常陸國總社宮 (茨城県石岡市総社)

富士山本宮浅間神社 (静岡県富士宮市宮町)

荒穂神社 (福岡県嘉麻市)

神在神社(福岡県糸島市)

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