【八幡の神として信仰される天皇】
応神天皇は第15代天皇で、14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后(じんぐうこうごう)との間に生まれました。
神功皇后のお腹の中にいる時から天皇としての定めを受けた「胎中天皇」ともいわれ、その出生は謎も多く神秘に彩られています。
出生前の仲哀天皇8年、母の神功皇后は筑紫橿日宮(香椎宮)で神託を行い「海を渡り金銀財宝のある新羅を攻めるべし」という託宣を受けました。父仲哀天皇は、海の向こうを見渡しても豊かな国は見当たらないので、この神託を怪しみます。そのため神は皇后のお腹の中にいた皇子(応神天皇)に三韓を与えることにしました。まもなく仲哀天皇は突如崩御し、皇后は託宣を現実のものとするため新羅遠征を行い「三韓征伐」を見事成功させたのでした。
皇后は遠征と出産が重ならぬよう月延石(つきのべいし)や鎮懐石(ちんかいせき)と呼ばれる石をお腹に当てて出産を遅らせたと伝わります。
父仲哀天皇が崩御してちょうど十月十日後に筑紫の宇瀰(うみ:福岡県糟屋郡宇美町)で誕生した皇子は誉田別尊(ほむたわけのみこと)と名付けられました。その腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていた事に由来し「ほむた」の音に「譽田」の字をあてたものだと伝わります。
応神天皇を君主と認めない異母兄の麛坂皇子(かごさかのおうじ)、忍熊皇子(おしくまのおうじ)の策謀は皇后と武内宿禰(たけうちのすくね)らに平定され、皇太后となった母の摂政のもと応神天皇(ほむだわけのみこと)は四歳で太子となりました。
その後応神天皇は、仲姫命(なかつひめ)を皇后として16代仁徳天皇(にんとくてんのう)らを得ました。在位中には様々な渡来人の来朝があったと記録されていて、韓人には池を作らせたほか蝦夷や海人を平定しました。名のある渡来人には弓月君(ゆづきのきみ)、阿直岐(あちき)、王仁(わに)、阿知使主(あちのおみ)といった人物がいて、弓月君は秦氏(はたうじ)の祖です。『古事記』によると和邇吉師(王仁)によって儒教と漢字が伝わったといわれます。
現在全国各地の八幡宮、八幡神社などでは応神天皇を八幡神としてお祀りしている所が多く、全国各地に2万社ほどあるとされていて、応神天皇(八幡神)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている形式か、この八幡三神の内の一柱をお祀りする神社がほとんどです。また、八幡三神のうち、比売神や、神功皇后に代えて仲哀天皇や、武内宿禰、タマヨリヒメを祀っている神社もあります。
八幡神と応神天皇は奈良時代から平安時代にかけて習合され始めたので比較的新しい信仰になりますが、それ以降アマテラスに次ぐ皇室の守護神とされていて、誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)の創建と応神天皇とのつながりが古くから結び付けられ、皇室も宇佐神宮(大分県宇佐市)や石清水八幡宮(京都府八幡市)を伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として崇敬してきました。
【神格】
軍神八幡神
【御利益】
勝負運、仕事運、出世、安産、良縁
【別名】
ホムダテンノウ
ホムダワケノミコト
オオトモワケノミコト
ハチマンダイボサツ
【系譜】
仲哀天皇と神功皇后の子
【祀られている神社】
宇佐神宮 (大分県宇佐市)
石清水八幡宮 (京都府八幡市)
筥崎宮 (福岡市東区)
鶴岡八幡宮 (神奈川県鎌倉市)
誉田八幡宮 (大阪府羽曳野市)
藤崎八幡宮 (熊本県熊本市)
大分八幡宮 (福岡県飯塚市)
千栗八幡宮 (佐賀県みやき町)
鹿児島神宮 (鹿児島県霧島市)
手向山八幡宮 (奈良県奈良市)
宇美八幡宮 (福岡県糟屋郡宇美町)
富岡八幡宮 (東京都江東区)
市谷亀岡八幡宮 (東京都新宿区)
盛岡八幡宮(岩手県盛岡市)
他、全国各地の八幡宮、八幡神社