鏡2(A2)コトシロヌシ(事代主神)

【出雲の神でありながら宮中に祀られる託宣神】

コトシロヌシ(事代主)は出雲のオオクニヌシとカムヤタテヒメとの間に生まれた御子神。高天原の神タケミカヅチが「国譲り」を迫った時に、出雲代表として父から指名を受けて最初に交渉し、「国譲り」を快諾した神です。

「恵比寿信仰」とも結びついて「恵比寿様」、「戎さん」とも呼ばれ、「恵比寿と大黒」は七福神として知られますが親子であり、父親であるオオクニヌシ(大国主)の「大国」と「大黒」の読みが同じなため同一視されました。

オオクニヌシは息子であるコトシロヌシを大変信頼していたので、国譲りの際に真っ先にオオクニヌシから大事を託されます。

本来オオクニヌシは慈愛に満ちた国造りを行いたかったのですが、乱暴な八十神たちから仕掛けられた戦いに打ち勝ち国土を広げたものの、戦いによって作った国は、戦いによって多くのものが傷つき、やがて戦いにより国は失われることをオオクニヌシ自身も知っていたのです。

その時、アマテラスから「これからは慈愛に満ちた国づくりを行うから国を譲りなさい。」と提案されますが、国を簡単に譲っては血と汗を流した者たちの心情は計り知れません。

そこで全てを理解し、その責務を全う出来るコトシロヌシに判断を委ねたのです。コトシロヌシは父の心情を理解し、自分が決断することで国も民も守れると覚悟をしたのでしょう。「この国は天つ神の御子に奉ります」とタケミカヅチに国譲りの了承を申し出たのです。

コトシロヌシは自分が責任を負う事で、全てが治るのであればそれで良しとしたのでした。

父のやる事を陰で支え、トップの判断が影響を及ぼすような時は自らが背負う。

功績は父親のものになりますが、それは自分のやるべき事、やらなければならない事だと思い、ただひたすら国の為にと人格と徳を高めていたからこそ出来た事。

この決断によって人々は、コトシロヌシに敬意と親しみを込めて恵比寿様として大切に祀り、宮中八神にも列する貴い神様となっています。宮中においても古来から天皇守護の一柱として、皇居の中にある宮中三殿の神殿にコトシロヌシはお祀りされ、この神殿にお祀りされているコトシロヌシは、一般的な出雲系の神格ではなく、言葉を司る神として祀られているともいわれ、新嘗祭の前日の鎮魂祭にてお祀りを受けます。

国譲りの後にコトシロヌシは国譲りの責任を背負い、出雲を離れ伊豆の地で新たな国造りを行ったとも伝わります。

また、コトシロヌシの娘イスズヒメ(五十鈴姫)はアマテラスの子孫である初代神武天皇と結ばれますが、このことは天神地祇の和合によって日本建国がなったとも解釈できます。

そして2代綏靖天皇にもイスズヒメの妹イスズヨリヒメが嫁いだと『日本書紀』には記載されています。

その意味ではコトシロヌシと娘姉妹は、まさに天地和合の神様。

コトシロヌシは自らは決して目立つ事をせず、我を捨てて周りの為、国の為、世の為に尽力する姿を示し続けてきた神様と言えるでしょう。

神名の「コト」は、神の言葉の『言』で、「シロ」は『代理』を意味します。つまり、コトシロヌシは神託を代理することを意味し、託宣神と考えられています。

 

神功皇后伝説では、皇后に神懸りし、新羅遠征の神託を下したり、壬申の乱のときには大海人皇子(天武天皇)軍の長官に神懸りして託宣したという伝承もあります。

また「鴨氏」と関係が深い神でもあり、祖神として信仰されています。

また、コトシロヌシ命は「事を知る」という意味にも解釈され、古代における託宣を発する呪術の専門家として、霊能を発揮した神主や巫女に対する称号のようなものとも考えられます。

 

【神格】

海の神、商業の神、託宣神

 

【御利益】

商売繁盛、開運、厄除け、福徳円満、病気平癒

 

【別称】

事代主神(コトシロヌシノカミ)、八重事代主神(ツミハヤエコトシロヌシノカイ)、恵比寿大神

 

【系譜】

オオクニヌシとカムヤタテヒメの子

 

【祀られている神社】

美保神社(島根県松江市)

長田神社(兵庫県神戸市)

事代主神社(徳島県阿波市)

三嶋大社(静岡県三島市)

今宮戎神社(大阪市浪速区)

三嶋神社(新潟県長岡市)

富賀神社(東京都三宅村)

十三社神社(東京都新島村)

十日恵比須神社(福岡市博多区)

他、全国の神社

出雲大社

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